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 5 *





暗くなった夜空を背景にして、パチパチパチと、火の粉がはぜる。


まるで妖精の粉のような金色の光が躍る。ひらりひらりと揺れる、紅い羽。焚き火の炎。
じっと見つめていれば、違う世界への扉が、紅い炎の奥にちらりと見えるかもしれない。
そんなことを思いながら、火を眺めるのが楽しくてたまらなかったのは、いつのことだったっけ。


あたしは、なんとなーく、力の抜けた気分で、細い小枝を火の中に放り投げる。


何だろう。何かが足りない。
パシンパシンと、焚き火が弾ける声。屋根の無い空は限りなくあたしを包む。漆黒と藍色を織り交ぜた夜の天には、星が呼ぶ声がする。
それは今にも手が届きそうで、でも、遠くて遠くて届かないから、あたしはあの星の光にとても憧れた。
あたしは今その星の空の下に居る。この贅沢な夜空は全部あたしのもの。あたしが、夜眠りに着くたびにずっと夢に描いた、欲しかった景色。
心地良いすがすがしい夜風も、草の葉に揺れる露も。全部。

ねぇ。なんで? 何がそんなに物足りない・・・?



ばさばさばさばさっ


「きゃあっ!」



どっからか、コウモリが二、三匹、大仰な羽音をはためかせながら飛んでった。
あー。びっくりしたぁぁぁあぁ・・・・・・。




・・・・・・・・はぁ。




一瞬でぎゅっと縮み上がった心臓をなだめながら、あたしは一人、ため息をこぼした。
途端に、なんだか無性に虚しくなった。


平気だったはずなのに。


旅立ちも。長い道のりも。険しい山や深い森だって。
屋根の無い空の下で過ごす夜だって。


何がそんなに物足りないのか・・・・・・。今、手をかざす橙色の炎が、全然温かく感じられない。


やっぱり、お母さんがそばにいる、暖炉の明かりにはかなわない。
タミカとケート、普段うっとおしくて生意気でたまらない口うるさい妹と、無気力でだらしの無い小さな弟。三人でいつも囲んでいたランプの明るさにはかなわない。

焚き火はこんなにも赤々と燃えているのに。
寒い。



ウゥ・・・・・・ウゥゥウゥ・・・・・・・・・



刺すように冷たい夜風が吹き抜けた時、目に見えない夜の中に潜む不穏な物音を、風があたしの耳に運んできた。
小さな火を見つめながら一人きりの世界に浸っていたあたしは、はっと我に返って体を硬直させた。
辺りに目を配るけれども、あたしの前にある火が、いっそう周囲の闇を濃くしていて、近くに何があるのかも全然見えない。


暗闇のどこからか響いてくる、低いうなり声。


な、何これ?
野犬? 狼? まさか、熊か何か?



「ガァァーーーッ!!!」

「きゃああぁーーーーーっ!!!」

「ははははっ、本当にびびってんの、お前っ」



へ??



おそるおそる、闇をつんざいたうなり声の聞こえてきた方向をふりかえってみると・・・・・・。


「ばーか」


茂みからぴょこんと、頭だけ出している、ニヤニヤと笑う男の子の顔があった。
今日一日、川辺からずっと、延々とうっとおしくくっついてきた、あいつの顔とまた遭遇した。


・・・・・・ふぁぁぁあ・・・・・・・・・・。
腰抜けたかも。


怒鳴る気力はなかった。茂みから飛び出してきたのが、怖い獣じゃなくって、心底ほっとしているところ。



「よかったぁぁ熊じゃなくて」

「あのなぁ、本当に熊だったらどうしてたんだよ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



今の一瞬の間に、リアルに脳内を駆け巡った、その場合のシチュエーションの続きを、もう一度頭の中に呼び戻してみる。
あたしは、ざーっと青ざめて、



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・食べられてた、かも」



生意気な男の子は、引きつり気味なあたしの顔をまじまじと眺めながら、はーっと呆れたため息を一つついた。



「お前なぁぁ・・・・・・。旅の途中で、野宿で熊なんて、よくあることだぞ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・まじ?」

「まじ」




そう言うランダは、ふっつりといなくなって、どこに行ってたのかというと。
てっきりもうあたしをからかうのに飽きて帰ったのかと思ったら、違ったらしい。
ガサガサと茂みから出てきたランダは、短い小枝みたいなものを沢山手に持ってた。まだ焚き火のまきを拾ってたの? ときいたら、それも違ってて。
これは、獣が寄りつかない香りを出す木の皮を探していたらしい。サシャというんだって。

固そうなサシャの木の皮は、焚き火の中に入れると、たちまち白くなって燃える。シナモンに似たツンとした香りが、あたり一面に広がった。


へぇぇぇ、こんなものがあったんだー。
あたしって無知だなぁ・・・・・・。




ごく普通に、そう思った。だけど、その時。




カチン




嫌な音を立てて、あたしの心に、小石がぶつかった。あたしの心の、一番ひねくれてる部分に。
ランダは、得意げな顔でにこにこして、あたしの隣でくつろいでいる。いつのまにか拾ってきた小さな木の実を、一人でぽりぽりとかじって食べている。

なんだか、気に入らない。




(これはあたしの一人旅なのに、なんでさっきからずっと、こいつのペースなの?)



あたしは、放り投げて置いていた自分のリュックを手に持った。立ち上がって、そのまま歩いていこうとする。


「どうしたんだチア?」


無視。


「待てってば」

「なんで?」

「え?」

「あたしは一人旅をしているの。どこへ行こうとあたしの自由よ。なんであんたに、待てなんて言われなきゃならないの!」



自分の歩く道は自分で決めたかった。
自分のやりたいことを何でもやりたかった。
旅に出たら、そのくらい、なんだってできるはずだった。


そうよ。
こんなんじゃまるで、あたしには何もできないみたいじゃない。
確かにサシャみたいなものがあるってことは知らなかったから、怖いなって思ったけどさぁ。
でも、でも、あたしはもう大人なんだから!
野宿くらい、一人でできるんだから。冒険だって旅だって、できるんだから!



「何いきなりキレてんだ? おい、焚き火から離れると、暗くて危ないんじゃないか?」

「あたし、違うところでまた焚き火起こす。そこで野宿する。ランダの世話なんかいらない」

「今からまた、木の枝集めるのか? もう近くには使えそうなのは落ちてないぜ?」

「うるさいわね! 一人で探すわよ! ・・・っと」

「あ、そこ、足元」


危ないぞ、っていうランダの言葉と、自分が盛大にすっ転ぶ音が、ほぼ同時だった。
ぎゃほん。
・・・・・・しまった。なんという不覚。いきなり、勢いよくつまづいて転んでしまった。


「痛ただだ・・・・・・足がぁ」


今日一日で、歩きすぎたせいかなぁ。かかととつま先がひどく痛くて、ジンジンする。


「・・・・・・お前、つくづく馬鹿だよなーー・・・・・・・」

「うるさいわねっ! 何よっ、じろじろ見ないでよっ!」


ランダは、呆れたような長いため息をまた一つついた。


「いや、転んだことじゃなくてさ。お前さぁ、旅に出るとか言いながら、そんなにボロボロでダボダボのブーツ履いて、今日も明日からもずっと歩くつもりだったんか?
 そりゃあー靴ズレにもなるだろが」

「しょ、しょうがないでしょー! 遠出に履いてくのに良さそうな革のブーツなんて、こんなのくらいしか物置でみつけられなくって」



うひーっ! 頼むからこっち来るなーっ! あたしの靴を見ないでーっ!



「オレをさんざんガキ呼ばわりしたくせに、お前なんか全然ダメ女じゃんか」

「な、なんですってぇぇ! っと・・・! うきゃああっ!?」


思わず怒鳴りながら立ち上がったその拍子、あたしは今度こそ決定的にその場にひっくり返った。踏みしめたかかとが、がくんと重心を崩した。



「あーあ、いいからもう、じっとしてろよお前、馬鹿すぎて見てらんな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あれ? え???」



ぶつくさいいながら、こけているあたしにランダが手を伸ばそうとして・・・・・・・・・とうとうヤツは、あることに気がついたらしい。
それは・・・・・・・・・転がった拍子に、ブーツが足から脱げてしまった結果・・・・・・・・・




ずいぶんと・・・・・・もちろん、ランダから見れば、だけど・・・・・・・



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ずいぶんと、身長の縮んでしまったあたしだった。




ランダが言葉を失って、あんぐりと口を開けていた。
真っ赤になって何も言えずにいるあたしを、見下ろしていた。



「はぁぁぁぁぁああああああああ??!」



・・・・・・・・・ばれた。まじでばれた。全部。何もかも。



「おっっっまえ、なぁ、上げ底でかかとの高いブーツで、めちゃくちゃ身長ごまかしてたなぁ?! だいたい、ずっと思ってたけど、お前、年齢いくつだよ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日で、十二」

「俺より二つも年下じゃねーか・・・・・・・・・・」

「はぁ?!! うぇぇ、年上?! こんなにガキっぽいのに?!」

「オマエに言われたくねぇよ!!!」



体中に砂と埃ががざらざらとくっついて気持ちが悪いので、あたしは仕方なく立ち上がる。
かろうじてひきずらずにいた、あたしが着ている大きなマントの裾は、完全に地面に垂れてしまっていた。

ブーツを脱いでしまえば、かかとの痛みは少し軽くなった。
だけど、直に踏みしめる平らな土の感触が、素足で尖った石の上を歩くかのように、痛く感じた。
立ち上がると、ひざに貼り付いていた砂と小石が、ぱらぱらと落ちる。
でも、手で払う気にもなれなかった。



「だまされた。口ばっかり偉そうなこと言っちゃってさぁ、お前なんか、全然大人なんかじゃないじゃねーかよ」


「・・・・・・・・・・・・・・・おとなだもん!!!」



叫んだあたしの声が、引きつった。高く裏返って、暗闇の中にキンと響いた。


今の言葉、相当、あたしの心に突き刺さった。

一番、言われたくなかった言葉。
言われるのが怖かった言葉。



「おとなだもん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



いやだ、バカ、ストップ、あたしの感情!
こんなやつの前で泣くなんて!



「十二歳になったら、もう、一人旅できるんだから・・・・・・・・・、できるんだもん・・・・・・・・」



あたしの意思とは裏腹に、じんわりと視界がにじみ、喉の奥に、無理やり抑えた呼吸がひっかかる。
やがてこらえきれず、目から、熱い粒がぽたぽたとこぼれてしまった。
それが余計に腹立たしくて、悔しくて、恥ずかしくて・・・・・・・・・。
なおさらのこと、あふれだしてしまったものが止まらない。



「決めてたん、だもん、十二歳になったら、旅、するんだ、って・・・・・・・・・・・・・・・・・・。冒険して、ミルサートさん、みたいに、なるんだ、って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



しゃくりあげながら、切れ切れに言葉を吐き出す。



あたしにとって、とても大切な人の名前。



ミルサートお姉さん・・・・・・・・・。








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