藍色の、夜空にかかるは、朧月。
ゆったりと風を切って降り立つレフラとエクセル。

「やっぱり遅くなっちゃったね。月が出ちゃったよ」
「うー、なんか空気が違うなぁ・・・」

門番が一人立つだけの、古びた石のゲートを抜けると、そこは異国情緒に満ちていた。
寝殿造りの木造の建物がいくつも並び、見かけない木の花かあちこちに咲き乱れている。夜だというのに、街灯もなく、月がやけに大きく見えた。

「魔術とか発展してないのかなここは」
「多分、自国の伝統を重んじてるんだよ」

土の道をしばらく歩くと、ひときわ大きな屋敷があった。辺りには、どこからともなく梅の香が漂っており、上品な笙の笛の音がながれてくる。
「おお、さすが、美月竹の姫君の住まいだけある。なんとまぁ雅な」
エクセルは物珍しげに目を丸くする。
「そうかなぁ〜、こんな、たれーんとしてて眠くなりそうなの」
「お前なぁ・・・、少しは古の情緒に興味を持ったらどうなんだ。それにしても・・・、すごいなぁ、これ、およそ三千年前に実在した貴族の館をそのまま再現した造りらしい」
「木造なんて燃えやすいに決まってんのに、なんでこんな家建てるのかわかんないなー」
「もういい・・・。レフラは黙ってろ」

エクセルは頭を抱えてしまった。
「あーもう! どーせあたしはバカだよ悪かったな! ていうか、こんなことやってる場合じゃないだろ。ほら行くぞエクセル」
「はいはい。あ、レフラ、一つ忠告しておくけど」
「何さ?」
豪奢な門戸をくぐりかけて、エクセルが声をひそめて囁く。
「お前、あまり下手に口きかない方がいいぞ」
「あぁ?」
「乱れた言葉を吐く下賎の者は、屋敷から放り出される」
「『下賎』って何だ?」
「教えたら殴られるから教えない」


敷地に入ってすぐに、深緋の裳を着た、二人の若い少女が二人を出迎えた。采女と呼ばれる官職の彼女たちは、なかなか見目麗しいものの、彼女たちからすれば非常に異質ないでたちをしている夜の来客に、嫌悪と警戒の眼差しを向けている。
(やっべ。やっぱ夜中になったのがまずかったかな?)
レフラが弁明しようとすると、采女達が先に口を開いた。

「どなたにやあらむ」
「異国の御方なめり。誰そ」

(おぉっ?)
エクセルがレフラを押しのけるようにして立つ。そして礼儀正しく頭を下げ、

「美月竹の御姫君殿に、見まほしくさぶらふ。こなた、よろずのことをたまはる者どもなり。名をば、えくせる、れふらと申しさぶらふ」

(おおおおお!?)
単語を拾えば、会話の意味くらいはレフラにもつかめたが、
(何語なわけさこの会話・・・・。つーかなんでエクセル、あんた平然と舌もかまずに、この奇妙な言い回しができるのさっ!)
レフラはそう訴えたくて口をぱくぱくさせて後ろに突っ立っていた。
采女らは、エクセルが古語口調で話し出した途端に警戒が消えていた。

「あな、うけたまはりはべり」
「かたじけなし」
「こちや、こちや。いざ、姫君に啓せむ」

それどころか、急に愛想良くなり、二人を招き、案内してくれる。
レフラは、こっそりエクセルに耳打ちする。
「ね、ね、今の何語なのさ?」
「ああ、別に何の変哲もない、普通のヤマト古語だけど?美月竹国の公用語の・・・。え、ちょっと待てレフラ、このくらい古典の授業で習っただろ仮にもオーディーン学院生なら」
「あ、あはー、ははーはははーそーだったかも知れないなーぁ」
「・・・・授業、寝てたんだな」

連れて来られたのは、白い砂石が綺麗に敷き詰められた庭園の見える、長い廊下。そこに、裾を引きずった着物を着ている女性が、一人たたずんで月を眺めている。
色とりどりに重ね着した着物。いわゆる十二単というものらしい。鮮やかな山吹重ねの彩が、遠目からでも目を引いた。

「美弥乎様」
「主様」
采女の少女たちが呼びかけた。

月の妖精のようなその横顔が、さながら咲き開く白い花のようなしぐさで振り向く。
芸術品にも値しそうなほど形の整った顔に、月光に透ける白い肌。長い黒髪は濡れた鴉の羽のように艶やかで、黒曜石の輝きの二つの瞳には、幽かな憂いの光を帯びていた。
清らかな容貌は、さっと扇で隠される。それがこの国の女性の作法である。

「姫様?いかにぞあらむ」
「お心地など、悪しかりしか」
「否なり。な、心もとなかりそ」

ゆったりと詠うようにことばを紡ぐのは、転がる鈴の声音。
香を焚き染めた扇から、上品な笑みのこぼれる口元が垣間見えた。

「今宵の月、いみじうゆかしけり。眺むれば、かく、時を忘れつ」
「や、げに。めでたし望月なり」
「あはれなり」

もっとも、レフラには相変わらず言葉がよく飲み込めなかったが。
ようやく会話が途切れたのは、レフラが三回目のあくびを噛み殺していた頃だった。
姫君がぱたんと扇をたたみ、膝をすって歩き、傍らの部屋の御簾を上げた。

「参らせたまへ。かかる由、細やかに申し上げむ」
二人は、灯籠の輝く御簾の中の座敷に招かれる。
「・・・エクセルぅ、通訳して」
「だから、依頼の内容をお話しますってことだろ」
「・・・ずっとこの調子なら寝るぞあたし」

中は意外と広く
采女達が、「ごゆるりと」と一礼して去ったのを見届けて、美弥乎姫は御簾を垂らした。

「さて」
白磁の肌の美貌が、来客二人に向けられ、微笑む。そして、
「ふー。あ〜、肩がこってしまいましたわぁぁ」
 ずる
姫君の御髪が、取れた。

「どえぇぇぇっ!?」

思わず目を白黒させてのけぞるレフラとエクセル。美弥乎姫はけらけらと屈託なく笑っている。
「あぁ、その辺に『わろうだ』がありますでしょう。適当に座ってくださいまし」
黒髪のカツラの下から現れた、よく梳いたセミロングの栗毛を束ねて結うと、見事な山吹重ねの十二単も、ばさりとまとめて脱ぐ。
「な、何なんっすかあなたは」
「あら、だって、あんな着物と髪型では、動きにくいんですもの。あれでは運動不足になってしまいますわ」
美弥乎姫はにこにこ笑いながら、普段着用の着物を引っ張り出して羽織る。
エクセルは、黒帯のようなカツラと、ヌケガラのような十二単をちらりと見やる。
「ごもっともですね・・・」
しかも、どうやらいちいち喋りにくいヤマト古語を使わずともよさそうだ。レフラは内心ほっとした。

「ようこそ遠路はるばるいらっしゃいました、お二方。改めて自己紹介申し上げますわ。わたくしは美弥乎と申しまして人からは、美月竹の君、もしくは美月の姫などとも呼ばれておりまして、自分で言うのも何ではありますが、〈深窓の姫君〉とでも称されるべき生粋の箱入り娘でございますわ」
「・・・ほんっとーに、自分で言っても何ですねぇそれ・・・」

美弥乎姫は、扇を口元でぱたぱたさせながら、ころころころ、と笑う。
そして、ずずいっとエクセルに迫る。

「ああ、それにしても、こうしてお目にかかれて光栄ですわ! 巷にその名を轟かすよろず屋殿にお会いできるなんて! まぁ、噂に違わぬ美丈夫ですわぁ。こんなにすらりと背の高い殿方は、美月竹にはそうそうおりませんもの。あら、この瞳の色も珍しいこと・・・」
「はい?あ、いや、どうも。あー、美弥乎サマ、何でしたら後日ゆっくりとお茶でも」
「・・・お〜いエクセル〜、いくらなんでも、こんなにちっちゃい子にトキメクなよ?」

レフラが冷ややかな目を送りつつ、畳の上に大胆にあぐらをかいていた。
このしっかりした口調からは、なかなかそうと思えないが、美弥乎姫はこれでも御年十二歳。
「ふっ、いや、美月竹の女は成人するのが早いそうだし、ちょっとくらいロリコンでも犯罪じゃあないさ。うまくすれば逆・玉の輿・・・」

げしっ

レフラの拳がエクセルの後頭部をどついた。
「ほほほ、美しい殿方は戯言も上手に仰いますのね」
「はいそーなんですよこいつは四六時中冗談ばっかり言う男なんで全っ然気にしないでください。さ、こんなバカなナンパ野郎は放っといて、仕事の話しましょう、ヒメサマ」
「ああ、そうですわね」
姫君もようやく顔を引き締める。
「あ、でも」
「どうかしました?」
「レフラ殿のその金色の髪も、あとで触らせてくださいません?。そんな色の髪をした女性なんて、珍しくてうずうずしてたのですわー」
「・・・・・・・」
美弥乎姫のあどけない瞳の奥、好奇心のキラキラとした星の輝きがレフラを見つめていた。
要するにこの姫君、本当に箱入り娘で単にミーハーなだけらしかった。

「では・・・謹んで本題を申し上げさせていただきます。レフラ殿、エクセル殿、・・・『ユグドラーシル』という所をご存知でしょうか?」

「!」

レフラとエクセルはそれぞれに、その名前に反応する。

「・・・ま、それなりにいろいろ聞き覚えのあるとこだけど」

知らないわけがない。なにしろ、ユグドラーシルほど有名でなおかつ謎の多いところはない。
アルティメイトに広大な敷地を有して存在する、『五つの礎』の中心。
ちなみに、『礎』とは、アルティメイトの有望な若き人材を育むための、巨大学術都市の通称。北にオーディーン、西にアスガルド、東にニフルヘイム、中央にフェンリルとユグドラーシル、と名が並ぶ。
中でもユグドラーシルは、でもただのエリート・ハイスクールにとどまらず、集った知識階級の人間たちが、魔術学を始めとしてさまざまな摂理を研究しているという。その規模や影響力の大きさゆえに、アルティメイトの中枢とさえ言われる。
にもかかわれず、ユグドラシールは関係者以外の立ち入りを固く禁じているため、一般民にはユグドラシールの具体的な実状をほとんど知ることができない。そのため、さまざまな噂が一人歩きし、まるで神殿か皇居のような認識がつきまとう所なのだ。

「うちのアスガルドも、同じ礎の一つとしてずいぶんライバル視してたけどなぁ、格が違うよあそこは。施設も授業内容も、生徒のレベルも。ま、僕は勝てる自信あるけど」
「そうそう。あそこの魔法学科がレベル高いらしくてさー、ここ数年そっちばかりに生徒取られてオーディーンの入学志望者が少ないって校長がぼやいてた。一体どんなとこなのか知らないけどさぁ」
「それなのです、問題は」

美弥乎姫が、重いため息混じりに言葉を続ける。

「わたくしには、とても信頼できる親友がおりましたの。以前はよくわたくしのもとへ訪れては、わたくしの話し相手になってくれたりしていたのですが・・・、ここ最近、ぱったりと姿を見せてはくれず、その身を案じていましたところ、そのユグドラーシルという所に行ってしまったと聞きまして・・・。文も、幾度も送ったのですが、届かないのです・・・」

美しい夜色の瞳が、月が隠れた空のように翳る。
「どうしても会いたいのです。月が、もう一度欠け、もう一度満ちるときまでに」
「月・・・?」
美弥乎姫は、そっと御簾を持ち上げて空を眺めた。

「ええ・・・。ちょうど一月後、わたくしの裳着が行われるのですわ。わたくしの、成人の儀式です」
夜空には、満月が真珠色に輝き、暗闇を深い藍色に見せていた。美弥乎姫のきめ細やかな肌が、月明かりに浮かび上がるように白く、大理石のように照らし出されている。
「それなのに、儀式のときに身に着ける指輪を、その友人に預けたままなのです。代々受け継がれてきたものでして、友人が、とある研究のために使いたいと申しましたので・・・誰にも内緒でお貸ししたのですわ」
「ふーん、なぁるほど。要はその指輪とやらが無事帰ってくればいいわけだ」

レフラは、顔にかかるブロンドを、指でかきあげて払いのける。髪に隠れていた、はめこまれた宝石のような二つのセピア色の瞳が、生き生きと輝いていた。

「あーあお姫様も回りくどいわねぇ。そうならそうと簡潔に言ってくれりゃいいのに。つまり、ユグドラーシルになんとかして入り込んで、あんたの友達見つけて、指輪を返してもらう。どう?」
「ご理解いただけて光栄ですわ」

交渉成立。


こうして、今回のレフラとエクセルの、その他もろもろの人々を巻き込む冒険が始まったのだった。
その先に待つものが、何であるか知るすべもなく・・・。




蒼天を切り裂くかのように、銀の翼が駆けていた。
その上に乗っているのは、ブロンドをなびかせる準魔道師と、長身のエンジニアにしてこのドラゴンの操縦士の二人。

「・・・なーんか、釈然としないなぁ」

風を切る音の中で、レフラがぼやく。
「何が」
エクセルは操縦ハンドルから手を離すことなく、目線だけをレフラに向ける。

「美月竹の連中。待遇良すぎて怪しいんだよね」
「そうだねぇ・・・これから先、鬼が出るか、蛇が出るかってところなのかな」
「とりあえず、さっさとユグドラーシルへの入り込み方とか、計画立てなきゃいけないからさ、いろいろ検索頼むよ」
「オーケイ。ちょろいちょろい」
「ところで、あたしら、どこに向かって飛んでんの?ユグドラーシルじゃないの?」
「いいや、一旦オーディーンに行こう」
「げげっ、帰るの!?嫌だよ何でさ!」
「オーディーンでないと、ユグドラーシルへの空路が繋がってないんだよ。あそこは、美月竹と違うんだから、正式なルートで行かないと不法侵入になっちゃうよ」
「うえええ面倒くさ。そこをなんとかうまくやって、手っ取り早く行こうよ」
「だーめ。ちゃんとパスポート手に入れないと」
「・・・どうせそれも違法で手に入れるくせに」
「ま、気持ちの問題かな」

「ん?」

ふとレフラは、前方から何か白いものが飛んでくるのに気づいた。
ドラゴンや他の魔道師が使うような乗り物ではなさそうだし、白く尾を引くあれは・・・。

「れ〜ふ〜らぁぁぁ〜!」

・・・この、聞きなれた間の抜けた声を聞いた途端一発でわかった。
このやろ、いつの間にかいなくなってると思ったら。

「クーシー!あんたどこ行ってたのさ」

小犬の姿の彼は、よく弾むボールのように、ぽーんとレフラの胸に飛び込んできてパタパタ尾を振る。

「えへへーごめんねー、ちょっと呼ばれてたから、帰ってたの」
「よ・・・呼ばれた・・・・?」
「うんっ!イザベラ様が」

ぴきーん
レフラの顔が一瞬で引きつる。
ま・・・まさか・・・・
そして、予感的中な、クーシーの一言。

「レフラにね、『今すぐ帰っておいで』だってさ♪」

レフラ、爆死(心の中)。
じ・・・直々に呼び出しかよ・・・・・・。

「エクセル・・・やっぱこのままユグドラーシル行こ」
「・・・あーらら」

クーシーはまだ無邪気な顔でじゃれついている。
これは、仕事以前の問題で一波乱起こりそうである。

駆け行く空はどこまでも青く、オーディーンへと続いているのであった・・・。




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