子の刻を告げる鐘の音が、静かな寝殿の庭にかすかに響く。
高く昇った円な月の下、こぼれた星のような、小さな蛍たちが飛び交っていた。
柔らかな夜風がそよぐ縁側で、美弥乎姫はくつろいでいた。
とある者からの責めを聞かされながら。

「どーーーして私に何の相談もなしに、勝手によろず屋なんか雇うんですかぁぁぁ!?」

純白の木綿の布地が月光に蒼く映える。その上には、散った烏羽のような髪が乱れている。すっかり取り乱した、黒目がちのあどけない面立ちは、表情豊かに自己主張を伝えている。呼吸も荒く甲高いその声は、今にも泣き出しそうであり、感情が先走りすぎていて一方的な訴えになっていた。
対する姫君は少しも動ぜず、のほほんと微笑んでいる。

「あらあら、悠里、そんなに騒がしいと、ほら、蛍が逃げてしまうではないの。」
「うう、今宵ばかりはどんなに奥ゆかしい蛍も月も、どうでもよいですぅ」
「まぁ、どんなときでも情緒を欠いては、人間お終いですわよ」

のれんに腕押し。
そんな慣用句が脳裏をぐるぐる回り、彼女はへなへなとかがみこんでしまった。

美弥乎と向かいあっているのは、長い黒髪を背に垂らした少女だ。ちなみに彼女の髪は地毛である。

レフラとエクセルの二人が立ち去って、およそ数刻の後、彼女――悠里が、どたどたと足音もけたたましく、美弥乎の下へかけこんできたのだ。
美弥乎はすでに、ゆったりと着くずした、単の部屋着に着替え、茶色の髪に櫛をいれていた時だった。
そんな姫君の私室に、取次ぎもはさまずに入ってこれるのは、悠里ぐらいだ。
取り次ぎなしに応対を許されている者は、まだ何人かいるにはいるが、同性で遠慮の入らない間柄の者は悠里だけだった。まだ美弥乎が、物心つく前に傍らにい続けてくれた、乳兄弟のような相手だ。

相変わらず自分がどう言おうと動じない美弥乎に、悠里は肩を落として深く息をついた。あまりに憤っているうちに、高く結い上げていた髪が、崩れて見苦しかったがそれすら気づく余裕がない。

「だって、だって! 私というものがありながら・・・っ、北の異国の魔法使いに依頼を託すなんて! 美弥乎様! どうして、この私を、悠里を信用して下さらなかったのです!?」

悠里の声が、更に高く月夜の空へと響いた。すっくと美弥乎の前に立ち直る。美弥乎のよりも更になお黒い瞳は、強い意志を映して、この小さな姫君を捕らえていた。
今日本物の貴族ですら億劫がって伸ばさないほどに、長く伸ばした黒曜石色の髪。そして、真白い着物。女性が着るものとしては、何の飾り気も風情もない、この姿。それは、彼女が他のものとは違う、特別な役職であることを語っている。

「悠里・・・、あなたのことはもちろん、誰よりも信頼していますわ。あなたは国一の陰陽師ですもの」
「だったら・・・!」
「悠里」

声は悠里の背後から聞こえた。
聞きなれている低い声に、悠里ははっと呼吸を止めた。

「いい加減にしろ。お前こそ、姫を信頼していないのか」

灯火のない中から浮かび上がるように、声の主は姿を現す。
顔を半ばほどまで隠した、不揃いな髪の合間から、琥珀色の眼が見える。小柄な体格ながら、一挙一動どれもが、隙のない刃のように研ぎ澄まされている。

「やれやれ。修行着から着替えぬままに、浅はかな自己主張ばかりしおって、お前はいつまでたっても子供と見える」
「真凪ちゃん・・・」

へな、と、凛としていた彼の背筋が萎えた。

「・・・・・・・・その呼び方も、いい加減よしてほしい・・・・・・十五にもなるのに」
「まあいいじゃない。公の場でもないし」
はぁ、と、諦めたようなため息が、横一文字に結ばれていた口から漏れた。
「・・・ええぃ、たしなめに来てやったのに、拍子抜けしてしまったではないか」


真凪は、一層しかめ面になり、美弥乎の傍らで胡坐を組んだ。
その途端、もう一つの聞きなれた声が無遠慮に聞こえてきた。

「おいおいおーい、仕事をよそ者に取られて八つ当たりかぁ? 悠里」

真凪が現れたのと同じ方向から、抜き身の新月刀を担いだ男がやってきた。

「げ、あんたまで来たの」
「なんだよ文句あんのか」

狼のような三白眼に、逆立った灰色の短髪。両袖が引き裂かれた麻衣から伸びた腕は、筋肉質で隆々としてたくましい。
真凪はその姿に眉をしかめる。

「紫紺・・・相変わらず山賊のような有様だなお前は」
「性分、性分。護衛家業はこのくらいでないと」
「まあ、頼もしい」

真凪はまだ何か言いたそうだったが、美弥乎が楽しそうにころころ笑うので、それに免じて閉口した。

「それでも剣は納めなさいよね」
「へいへい」
「それで、紫紺、何しにきたのよ」
「俺は真凪について来ただけだぜ?」
「え?」


じっと座していた真凪に視線が集まり、彼は軽く咳払いをすると、射るような琥珀の眼差しを美弥乎に向けた。


「実は、先日から難航しております妖魔退治の件で、お話を申し上げたく参りました」


美弥乎、悠里の面持ちがすっと真剣味を帯びる。


「・・・深刻ですか?」
「いえ。ですが、一昨日あやつが姿を現したときに、迎え撃った近衛兵が、三人ほど負傷しました。」
「ちょっと待ってよ!」

割って入るようにして悠里が声をあげた。

「あたしが聞いた話と違うじゃない!」
「何のことだ」
「だって、あたしの占は完璧だったのよ? 近衛上が報告に来てくれたけど、あたしが警告したとおり、午の方、亥の刻に警備を配したおかげで・・・」
「ああ、お前の言ったとおりにあの鵺は現れたよ、確かにな」
「だったらどーしてそんな、ぴりぴり神経とがらせなきゃ」
「あああうるせえ! 砂利ガキ!」

獅子が吠えるような紫紺の怒声に、思わず悠里は後ろへひっくり返った。

「言われたとおりにしておきながらこんな事態だから、俺らがわざわざこんなところに来てるんだろうが!」
「つまり、悠里の陰陽の占だけでは対策が足りないのですね?」
「えええっ!」
「恐れながらそういうことですね」
「そんなああ!」
「いーからてめえは口ふさいでろ悠里!」

なんだか悠里と紫紺が騒がしいのを無視して、一方で淡々と話を進める二人。

「・・・とはいえ・・・あなた方近衛部隊がこんなにも早々に音を上げてしまっては・・・」
「姫、私は提案に来たのです」
「?」
「我々が手を焼いている妖魔退治。それを、北西の国から来る者どもがいかにして片付けてしまうか、ご依頼の前に試しにやらせてみてはいかがですか」


ざぁぁ・・・


夜風が、中庭の木々をざわめかせる。
差し込む月明かりに照らされ、琥珀の瞳は、不敵に笑みを浮かべている。
物静かな彼がめったに見せない顔だった。

「何か、企んでいらっしゃるのかしら? 真凪」
「言うなれば好奇心です」

またすました顔に戻って、さらりと答える。

「我々の国は、世界の東の果てにあり、おまけに海とシナ大陸に阻まれて、西の国々をほとんど知ることができませぬ。ですから、あの輝く山吹色の髪をした女人が、いかなる技を持っているのか・・・、目にできる機会があれば、見てみたく思うのは自然なことでしょう」

「ふふふふふ・・・。貴方も、私が例の指輪探しを、外部の者に任せたのがお気に召さないのね」


ぴく。


表情は変わらぬままに、片方眉がはねた。

「・・・いえその・・・・・・・・はい」

真凪は、つまらなそうに目をそらす。大人びた顔をした彼でも、たまにこんな子供っぽいしぐさを見せることがある。それがなんだか嬉しくて、美弥乎姫は袖で口元を押さえながらくすくす笑う。
そっと真凪の横顔に顔を近づけ、小声でささやく。

「よほど、あなたの幼馴染みがないがしろにされたことが口惜しいのね」
「なっ・・・!」

ますます彼は、表情を子供っぽく崩してしまう。

「べ、別に、悠里を気にかけているわけではありませぬ。ただ、このままでは悠里も納得しませんし、鵺退治もできぬような毛唐の魔道師ごときに、美月竹国の宝である『螺旋の指輪』を任せるのは」
「どーしたの真凪ちゃん顔赤い?」
「うるさい! そもそもお前の術が未熟だからこのようなことになるのだぞ!」

はっ。
おもわず怒鳴りつけた悠里の目は、真凪の目の前で、みるみる歪み、涙がいっぱいに溜まっていく。

「い、いや、悠里」
「真凪ちゃんのバカーーーー!!」


ざぱーーーー


真凪の頭に桶三杯くらいの水が落ちてくる。

悠里め、五行水練の術を・・・!

ずぶ濡れになって再び視界が開けたときには、悠里の姿は消えていた。
笑い転げる紫紺と、のほほんと濡れた畳を心配する美弥乎姫が居るだけだ。

「男女の仲とは難しゅうございますわね」
「だから違いますって・・・姫・・・。ええい紫紺、それ以上笑うと斬ってくれるぞ!」

要するに、真凪は悠里の力を信頼する反面、危険なことをさせたくないのだ。

不機嫌極まりない顔で、まだ腹を抱えて笑っている紫紺を、とりあえず昆虫標本寸前の姿にして黙らせる。
しずくの滴る髪を振り払うと、畳の上にできた水溜りの中に、五芒星の符を見つける。先ほどの水練の術の符だ。
水の中でも破れもせず、星の形をした呪印が蒼い蛍光を放っている。


あやつ、師を亡くしても一人で腕を磨いている。
符を拾い上げながら、実の祖父でもあった陰陽師のありし日のことを回想する。
真凪が陰陽の才に恵まれず、嘆いていた祖父が、孤児の小さな女の子を弟子として引き取った時の事。
祖父がいなければ、悠里とは会わなかったかもしれない。
しかし祖父が、悠里をこの国でただ一人の陰陽師なんかに育てなければ、もっと悠里は近しい存在であったかもしれないのに。
今はあいつはまだ十三だが、大人になれば陰陽師として都のために鬼と戦わねばならぬかもしれない。
自分がどんなに剣の腕を磨いても、及ぶことのできない妖魔と立ち向かわねばならぬ時が来るのかもしれない。
あの悠里がか?
たった五年前には、柿の木に上って降りれずに泣いてたあやつがか?
祖父が、小躍りして喜んだほどの潜在的な魔力を持つとはいえ・・・。


「・・・ああ頭が痛い・・・」
「ヒメサマ、ありゃ男女の仲っつーよりシスコンだろよ」
「そうかしら」
「三枚におろすぞ紫紺・・・・・・・・」







少しだけ翳った十六夜の月が木々の間から、ためらいがちに昇ってくる。
昨日より暗い藍色の空は、どこか、不吉な赤みを帯びて見える。
そんな美月竹国の闇夜の宮中。

「はぁ〜? ヌエ? 何それ、虫?」

情緒も風情の味も知らず、ふてくされ顔でバリバリと煎餅をかじる金髪娘が一人・・・。

「いえいえ、人を襲って喰らうという、シナ大陸から渡って来た妖怪ですわ」

エクセルは、レフラの機嫌が悪そうなので、大切な依頼主に粗相がないかとはらはらしている。
更に。

「ねーお姫さま!この、大福っていうお菓子、もいっこ食べてもいい?」

・・・なんでついてくるんだよ〜。クーシー・・・

昨日、眠った隙に置いていかれたのを根に持って、どうしても来るといって聞かなかったのだ。
幸いにも、美弥乎姫は幼いながらも温和で心の広いお方なので、すでに十分失礼なレフラの振る舞いも、会話を邪魔してばかりのクーシーも気にとめず、にこにこと、お菓子やお茶を振舞ってくれている。
むしろ気になるのは、姫から離れた後方に控えている黒髪の少年だ。
腰には太刀。
琥珀の眼は鋭く、隙のない姿勢で二人を見すえている。

「あたしの依頼はご友人から指輪を受け取ってくることだったんですけど」
「ええ、それとは別件で、お願い申し上げようと。あ、もちろん、報酬もこれはこれでご用意いたしますので」
「マジ!? なぁんだー! 話がわかるじゃん、ヒメサマー!」

・・・だからぁ、言葉遣いを礼儀正しくしろって言ったのに、従者に斬られても知らないぞレフラ・・・(汗)

「それでは、兵衛の督をご紹介しますわ」

琥珀の眼の少年が、進み出てきて膝を折った。

「・・・真凪と申します」
「兵衛の督?」
「都を守る軍役ですの。彼は、刀と弓の扱いにとても優れてます」
「あの、姫・・・」

真凪がこっそりと声をかける。

「本当にこの方々が、姫の信頼なさる、北の陰陽師ですか!?」
「あらあら、真凪殿違いますわ。北では陰陽師と呼ばず、魔道師とおっしゃるのよ」
「いえ、そんなことはどうでもよろしく。ただ・・・あまりにも私の想像していた者と違って」
「北ではこのように砕けて話すのが、上流階級の作法だとレフラ殿はおっしゃいましたけど」
「いやそれは嘘でしょう・・・」

そうこうしている内に、戌の刻を知らせる鐘がなる。
こんなことをしている場合ではなかった。

「レフラ殿、貴殿は品性はともかく、魔術において秀でておられるとのこと」
「なんか今失礼な言葉混ざんなかった?」
「気のせいです。わが国の陰陽師が方位の吉兆を占ったところ、亥の刻、朱雀の方角に闇の獣が現れるというのです。ぜひ、お力添えを頂きたい」
「ははははん。なるほど、化け物退治ね。あたしの一番得意な仕事だわ!」

レフラはばさっと髪を払いのけて立ち上がる。

「今日の午前の授業で、物理の教師にいびられた恨み! ここで発散してやろうじゃないの」
「・・・どうせそんなことで機嫌が悪いんじゃないかと思ってたよ」
「うんうん。レフラが叱られてるトコ、ボク見てたよ〜。偶然だけど」
「報酬弾んでくれるんなら、やる気も出るもんね。エクセル、行くよ!」
「はいはい」

レフラは御簾をくぐりぬけ、外に出る。

「ちょっちょっと待ってよレフラ、ボクも行く!」

大福をお茶で流し込み、クーシーも飛び出てくる。

「あら、そちらは朱雀の方角ではありませんわよ、レフラ殿」
「いーのいーの。あたしらはあたしらのやり方があるんで」

ひんやりとした風が肌を撫で、月が我が物顔で夜空に座している。

「わぁ、月がでかいから星座が見づらいな」
「オーライ。そのくらいで支障は出ないさ。まずは、獲物の正体を見極めないと」

エクセルがポケットから取り出したのは、銀の分厚いカード。
ではない。
ポケット・コンピュータ機である。

「鵺・・・ね。検索検索」

片手で素早くパネルを操作すると、光のヴィジョンが浮かび上がる。

「思ったとおり! 単なる、ゴブリンの別称だね。この国では四足のものを鵺、二足歩行するものを鬼、とかなんとか呼んでるらしい。でもおかしいな、美月竹国は独自の結界で妖魔を防いでいるから、ゴブリンは生息していないと言われてるのに」

「生命力強い害獣だから、地下から湧いて出てきたんじゃない?」
「そうだね、シナ大陸から渡ってきたっていうし」

真凪は弓と矢筒を携え、二人の様子を不思議そうにうかがっている。

「それが・・・貴殿らの魔術なのですか?」
「違う違う。これはただのパソコン。アスガルドから個数限定で出荷してる希少なアイテムだから、見慣れないのも無理ないけど」
「では、どうやって鵺を退治するおつもりで? まじないの符や水鏡は用意しなくてよろしいのか?」
「大丈夫、あたしにはこれがある」

レフラが取り出して見せたのは、マジック・アイテム、銀の拳銃。

「朱雀の方角って・・・南のこと?」
「みたいだよ。確かに、縁起の悪い方位だね」

(やはり、悠里の術とは、大分異なったもののようだ・・・)

真凪は、見たこともない道具を前にして、異国の魔術学に興味を持った。
悠里は今頃、陰陽寮に籠もって、鵺の出現を知るために水鏡と向かい合っていることだろう。彼女がレフラ達の魔法を目の当たりにしたら、何と言うだろうか。
東の魔道師として興味を持つか・・・。
いや、それはないだろう。
彼女は、自国の魔術を至上ものと教え込まれてきた。
悠里だけではない。美月竹国は、自国の文化を誇るあまりに、今でもまだ鎖国的な状態にある。このように、わずかながら異国との交流をするようになったのは、本当に最近のことだ。
姫が自分以上に信頼を置いていると知って、泣いて悔しがっていた悠里だ。
そうすぐに、レフラ達を認めようとするはずがない。
そして、自分も。
現場に来ることのできない悠里の代わりに、自分が、レフラの実力を見定めてやる。
背の矢筒には、白羽をつけた破魔矢が詰まっている。
悠里に術をかけさせた、特別な、鵺退治用の矢だ。
そして、自分がこの魔道師達を差し置いて、この矢で見事鵺を討ち取り、悠里の陰陽師としての才を、世間に認めさせてやろう。

真凪は、密かにそう決意していた。
そろそろ、悠里が占で鵺の邪気をつきとめ、采女を通してこちらへ知らせてくれるはず・・・。

「あ、主様! 真凪様! うたてしこと! うたてしこと申し奉らむ!」

一人の若い娘が、血相を変えて飛んでくる。昨日レフラ達を出迎えた者とは別の采女だ。

「うたて?」
「大変だー、くらいの意味じゃない?」
「いかならむ。あやかしの影来たらむや」
「否。陰陽の司の、いずこにか消え侍りぬ!」
「なんだと!?」

真凪と美弥乎姫が顔色を変えた。

「にしても、なんで采女って人たちはわざわざヤマト古語なの・・・」
「育ちがいいんだろ」
「で、エクセル、通訳は」
「陰陽師がいなくなりましたってこと」
「へぇー。で、なんでこいつとヒメサマはあせってんの?」
「だから、もしかしたらゴブリン・・・あ、いや、鵺の仕業なのかもしれないだろ」
「違う!」

真凪が叫ぶ。頭痛を起こしているのか、額に手を当ていらいらと歯噛みする。

「あの馬鹿・・・自分で鵺を退治しにいくつもりに違いない!」


ゴォォン・・・。戌二つの刻を告げる鐘の音が重く響く。


ちょうど、南から流れてきた雲が、月を隠したのは偶然だろうか。
それとも――




築地に沿って、緋色の篝火(かがりび)が赤々と燃え、それぞれの得物を手に佇む男達の姿を闇に知らしめす。

「いいかてめえら! 鵺が出てきたら真っ先に俺に知らせやがれ! 即真っ二つにしてやらぁ!」
「てめえらって・・・東門には僕と紫紺さんの二人しかいないんですけど」
「ごちゃごちゃいうんじゃねぇ腰抜け!」

紫紺が徳利を、風丞の足元に叩きつけ、陶器が砕け散る激しい音に、ビクッとすくみ上がる。

「あー・・・もう、仕事中に酒飲むのやめてくださいよ」

たくましい豪腕の紫紺とは対照的に、根っからの都育ちの風丞は、小柄で気の弱い少年だ。
狩衣に烏帽子の姿で、身長より大きな弓を重そうにかついでいる。

「でも、鵺って、爪に猛毒があるとか、鳴声を聞いただけで死んでしまうとか・・・」
「馬鹿ヤロウ! だから、出てきたら即俺が斬るっつってんだろ! 俺の腕を疑うってのかよてめぇ」


ぼぉぉうっ!


突然、篝火が天を突かんばかりに膨れ上がった。飛びかかる寸前の虎のような赤い影が二人に襲いかかる。

「何ぃぃ!?」

「ぎゃ―――――!!!鵺だぁぁぁ!!!」

そろって胆を潰すが、はた、と紫紺はこれと似たものに見覚えがあることに気づいた。

「・・・・・」

舞い散る火の粉越しに、築地の影に背のちっこい犯人がいる。

「あのなぁ・・・・」

紫紺が長刀を振るうと、風圧で一瞬炎が掻き消える。そこを、一足飛びでつかみかかった。

「なーにやってんだてめえはっ!!」
「きゃわわー!?」

首根っこをつかまれて、猫のように宙吊りになる。被衣がはらりと落ちて、夜色の髪と、表情豊かなあどけない顔が出てくる。

「くだらないことして遊んでんじゃねぇ悠里!」
「なっ、なんでわかったの!?絶対ビビると思ったのに」
「てめえにゃ何度もからかわれたからな。同じ手に何度も引っかかるか」
「あちゃー・・・さすがに慣れちゃってたのかぁー・・・」
「てめぇ・・・鵺の餌にするぞコラ・・・」

風丞が半泣きで腰を抜かしていたが、意外な悠里の出現にぎょっとする。

「あ、あなたは陰陽師の悠里様・・・? どうして、陰陽寮ではなく此処に」
「大丈夫大丈夫、あたしがいなくなってもばれないように、形代で身代わり人形作って置いてきたし」
「そうじゃなくてだ、何しにきたんだって聞いてんだよ」
「えー? そりゃーもちろん、鵺を退治しにさぁ」

さも当たり前のように言う。宙吊りのままで。

「だってぇぇぇ。あたしも行くって言っても、真凪ちゃんも美弥乎姫も許してくれないんだもん。
でさ、紫紺」

くるり、と、器用に吊られた体の向きを回し、紫紺と向かいあう。

「ああん? 何だよいきなり」

悠里は、顔に似合わないおばさんくさい説教口調になって、ぽんぽんと紫紺の肩を叩く。

「考えてもみなよ〜ここであたしを引きずって帰らせてもあんたには何の得も無いけど〜、

あたしが誘導して、一緒にうまく鵺退治すりゃ、真凪ちゃん出し抜いてあんたの手柄になるよ。オイシイオイシイ」
にやけた悠里の目と、その目に映る紫紺のぎらつく眼との間に、キラリーン☆と何やら通じ合うものが流れたらしかった。
負けず嫌いな上、単純バカ一直線の紫紺には、『真凪を出し抜いて』というフレーズが思いのほかいい釣餌になったようだ。

「ははぁん、悠里、お主もワルよのぉ」
「いえいえお代官サマこそ♪」

いつの時代のギャグだそれ・・・・・・。

「あ、あの僕、急用思い出して、そろそろ家に帰・・・」
「まーまーそう言わずに、お客サーンvv」
「夜はこれからだぜ〜?風丞」

そろそろと退散しかけた風丞の襟首は、すっかり意気投合したコンビによってがっちりと捕まえられていた。

「真凪ちゃんにはナイショってことで」
「俺らの手柄横取りされたくねぇからな。チクられるとまずいからてめえも来いや。これ強制」

むしろ、強制どころか脅迫である。
かくして、風丞の道連れ決定。


十六夜の月を背に、ことの成り行きを見ていた別の影が二つ。
いや、正確には、二人と一匹。

「おーおー。なかなかいい性格してるんじゃない? あの白い着物のオチビ」
「で・・・なんで僕ら隠れてるんだい? レフラ」
「高見の見物してる方が面白いからに決まってるでしょ」

レフラは瓦の上であぐらをかいて、屋根の上から観覧していたのだ。
美弥乎姫の元へ一度報告しに行った真凪に代わって、悠里の捜索を頼まれたのだ。
空から探したおかげもあって、見つかるのは早かったのだが・・・
つきあわされたエクセルは、うんざりしてため息をつく。

「はーぁ、また気まぐれなんだから。真凪君が、彼女を見かけたら帰るようにさせてくれって言ってたじゃないか。僕らはゴブリン駆除しなきゃいけないし、邪魔になったら危ないよ」
「んなこといってもさー、聞いた話だと、あたしあのちびっ子に嫌われてるらしいし、あたしらが言っても素直にはいそうですかってことにはならないでしょ?」
「そんなこと言ったって」

仕事なんだから。と、言いたいところだが、そもそもレフラにとっては、仕事も娯楽も同義語でなのだ。

「ゴブリンなんて、出てくれば5分で片付けられるんだから、たまにはこんなこともないと楽しくないっての。お? あーもう、エクセルがああだこうだ言うから見失ったじゃないのさ。――クーシー、追跡するよ」

レフラの傍らで、白銀の毛並みの獣が跳ねる。

「いいよ〜。あのヒト、レフラと違った、変わった魔力の匂いがするからわかりやすいんだ〜」

ふさふさした尾をぱたつかせる姿は、子犬のように愛らしい。
実は、これが彼の本当の姿である。
魔道師が魔法を発動させるさせる際、杖や呪符、水晶玉といった、魔力を増幅させるための媒介を使うものがある。
その中で最も高度なものが、『星獣』と呼ばれる媒介。
クーシーの首には、ダイヤモンドの飾りのように、星獣の証である『星』が宿っている。
その星の名は〈プロキオン〉。白く輝く、星一等位以上の魔道師の称号を持たないと操れるものではない。
この可愛らしい子犬姿からも、人の姿のクーシーからも、なかなかそうは思えないが、彼はアルティメイト最高と言われる星獣なのだ。

「・・・クーシー、お前を仕事に使ったコト、お前の怖―いご主人様には黙っとけよ〜?」
「うんっ。イザベラにはナイショ〜」

が、残念ながらクーシーは、主あってこその最高の星獣である。
すなわち、レフラの在学するオーディーン学院・学院長、アルティメイト最強と言われる魔道師。レフラがこの世で唯一畏怖する人物。イザベラ=オーディーンの手があってこそだ。

「はいはい。ついていくよ」


わがままなお姫様をじっと座らせておくことなど、誰にもできないのだ。





歩きながら、紫紺が尋ねた。

「な、悠里。何だっててめぇは今度に限ってそんなに鵺退治にムキになってんだ?」
「そんなの今更聞かないでよ。あたしは、美弥乎姫に認めてもらいたいの。何年そのために修行してると思ってるのよ」
「でも姫は、多分、この国じゃ一番てめぇを頼ってるぜ?」
「そーれーはー、あたしが姫の周りで一番年が近いからってだけ!あたしがしっかりしなきゃ・・・近衛兵だけじゃ妖魔を倒せないじゃない」
「そうかぁ?俺様にかかりゃあ鵺や鬼の十や二十ばっさばっさと」
「はいはい。バカの自分自慢はもういいって!だーかーらー、大体、あたしもう十三なのに、鵺退治に参加させてもらえないのがおかしいのよ!先代様は、十の頃にはもう術で鬼を退けるお仕事をしていたって聞いたもの」
「男と女じゃ違うだろ」
「あーっ!男女差別はんたーーーい!」
「うるせえなぁ、キイキイ鳴くなチビ雀」
「それに、さ」
「それに・・・」
「真凪ちゃんにあんまし戦いしてほしくないもん」

紫紺は思わず前につんのめった。
・・・真凪も似たようなことを言って悠里の身を案じていたが、心配する立場が逆じゃないか?

「だって真凪ちゃん・・・とと」
「何口ふさいでんだよ、続き言えよ」
「ばらしたら怒られる」
「・・・・ほほう気になるじゃねぇか、いわねぇとくすぐるぞこのヤロウ」
「きゃー!?触るなヘンタイ!セクハラー!」

三歩離れた後ろから、風丞がとても疲れきったような顔で二人の後姿を見ながら歩いていた。
・・・本当にヤル気あるのなーこの二人は。僕にも仕事があるんだけどなー・・・とほほ。

ここで誰が想像しただろうか。
鵺よりよほどやっかいなものが、この三人の前の闇夜に立ちはだかろうとは。

はじめに気づいた素振りを見せたのは、悠里だった。
術師として、五感及び第六感は厳しく鍛えられた彼女だ。鈍い紫紺より気づくのが遅いはずがない。
ふとした空気の違いに、悠里は足を止めた。

「どうした?悠里」
「・・・妖魔の匂いがする」

ざっと三人に緊張が走った。
紫紺は、背負っていた長刀を引き抜いた。

「どっちだ」

悠里は懐から羅針盤を取り出す。
針は、まだ不安定に揺れていて定まらない。

「うーん・・・近く」
「だー!もう!使えねぇなてめぇは!」

悠里の黒い瞳は、真ん丸に開かれている。針の先に視線が向けられてはいるが、彼女の意識は別なところに向けられていた。肌で感じる『気』に。

「何なのこの波動・・・、こんな魔力、今まで感じたことがない」
「おおお陰陽師様!やっぱり僕ら三人だけじゃ危険ですよ!一度戻って、真凪様に応援を頼んだほうが」

しかし、風丞の声は届いていない。
悠里は目を閉じ、気配の方向を探る。
強い魔力だ。
今まで占で探知できていたものと違う・・・どうして。
だけど怖気づくわけにはいかない。
美月竹国の陰陽師としての誇りのために。
その時、風丞が叫んだ。

「あ、あの、悠里様!あそこ!」
「なんだ風丞、何かいたか!」

紫紺が身構える。
正面の築地の上に、黒い影が。

「あ・・・あれ?」
「なんだありゃあ・・・」

二人はそろって間の抜けた声を出す。
無理もない。
十六夜の月明かりを逆光に姿を見せたのは。
手のひらサイズの犬だった。

「キィ〜・・・」

鳴声はとりあえず鵺らしいが、なんだか今すぐ死んでしまいそうなほどか細い。

「クァ〜ッ」

南天の実のような可愛らしい赤い眼をこちらに向け、こちらに飛び掛ってくる。
ぽて。
ひょろひょろと墜落して、軽い落下音がした。

「・・・・・・・・・・・・」

三人は開いた口がふさがらない。直前の緊張が大きかっただけに尚更だ。
いっそ何も見なかったことにして立ち去ってしまいたい。

「こ・・・これが鵺・・・?」

おずおずと近づいて、悠里が拾い上げる。
鳴声だけで人を殺すとか、鋼鉄の爪には猛毒があるとか、一度に三人の大人を牙で砕くとか、そんな恐ろしい噂はどこへやら。

「・・・紫紺達ってこんなの相手に手間取ってたの、へぇ〜」
「ンなわけねーだろ!!!こんなもん鵺じゃねえ!てめえこそ、こいつの妖気でビビってたんじゃねぇのかよ!?」
「え!ち、違ーう!あたしは本当に奇妙な気配を・・・」

二人があたふたと口論している間、鵺(らしき生物)は悠里の手の中でキイキイ鳴きながら、落ちたときにぶつけた頭を痛がっている。


鵺が現れた築地の裏側。
こっそりと冷や汗を流す怪しい人物が一人・・・。

「や・・・やっばぁ・・・リモコン壊れた。どおりで勝手に動いてるはずだわ。あーもう!やっぱミケーネに頼んで、作るの手伝ってもらえばよかった・・・。にしてもなんであいつら、あたしが苦労して作ったゴブリンにちっともビビってくれないわけぇ?ちょーむかつく!ま、しょうがないわね、作戦失敗ってミケーネにメールして・・・」
「はぁ〜い♪アテナ〜」

びくっ!
こそこそと立ち去ろうとしていた黒ずくめの少女の前に、ブロンドをなびかせた魔道師が、満面の笑みで立ちはだかった。

「あっ、あんたは・・・!」

一気に表情を引きつらせた彼女の目の前で、レフラは、拳に握った指を揉む。ぼきぼきっ
!と、恐ろしい音がした。

「コンナトコロで何やってるのか聞かせてもらおうじゃない。『自称・あたし(レフラ)の商売敵』ちゃん」


そんなわけで、レフラが悠里達の前に現れるのと、悠里と紫紺が口論しているのとは、おおよそ同時だった。
不意に築地を飛び越えて出てきた人影に、悠里達三人は硬直した。

「ぬ、ぬえ?」

紫紺が指差す。

「おーい、あたしのどこが妖怪に見えるってのよ」

悠里は、初めて見る太陽のような色の髪を、唖然として見ている。

「山吹色の髪・・・」
「ブロンドって呼んでくれたほうが嬉しいんだけど?そんなに気に入ってる髪でもないけどさ」

そう言って、波打つ髪をばさりとかきあげる。

「ところで、あんたらが捕まえるべきなのは、どうやらこいつみたいよ」

と、引きずって前に連れ出したのは、先ほどレフラが成敗したばかりの、小柄な女の子だ。
子猫のように釣り目がちの大きな瞳で、不機嫌そうに辺りを睨んでいる。一体レフラに何をされたのか、髪は乱れて手足を引きずり、なんだか怯えている。

「はん!何よ!ただの通りすがりのかよわい美少女に、こんなの横暴よ横暴!訴えてやるわよ!?」
「おー?まだバックれる気?」
「・・・・う・・・・」

ビクッと肩をすくめる彼女。かなりレフラの目が恐い。

「まったく・・・アテナ、ここであんたに会うとは思わなかったわ」
「こっちのセリフよ。どうしてことごとくあたし達の邪魔するわけぇ?」

どうやら知り合いらしい。決して仲は良くなさそうだが。
悠里が事態を呑み込めず、怪訝な顔で二人を見比べている。

「え・・・何?もしかしてその子が鵺なの?」
「あーもう!いい加減、鵺から離れな、お嬢!こいつがそこに転がってる不細工なオモチャでなんか企んでたの!」
「ぶ、不細工とは何よ!頑張って作ったのにぃ!」
「よーし、自白成立」
「あ」

レフラがぐいーっと首元を締め上げる。

「うえぇぇぇ」
「さて、こっちはこれでいいわね。あんた達、こうしてる場合じゃないわ。急いでついてきてくれない?」

アテナは、今までにもちょくちょく現れてはセコイ悪だくみでレフラの手を煩わせてきた。ちょっとした強盗や密売を、何度か「よろずや」のレフラ達に阻止され、レフラを逆恨みしているのだ。腐れ縁と
言うか何と言うか、はた迷惑な話である。
そんな彼女が行動する際、必ず見かけていた連れが今日は見えない。
それに気づいた時から、嫌な予感がしていたのだ。

「こいつの仲間が一人、ヒメサマの屋敷に潜伏してるそうなのよ」




美弥乎姫の住まう御所。
御簾の内から、優雅な琴の音が流れている。

「真凪、少し落ち着きましたら? あなたらしくもないこと。その様では、万が一物の怪が現れても取り逃がしてしまいますわ」

奏でる美弥乎の落ち着いた声。
背中越しに話す真凪は、木のように微動だにしていない。琥珀の瞳は鷹のように鋭く、弓を手にして佇んでいた。

「私はちゃんと落ち着いております、美弥乎姫」
「あら、弓を上下逆に握っておりますわよ」
「・・・う」

小さくうなると、美弥乎が鈴のような笑い声をもらす。
真凪は、気まずさを隠そうと、口を引き結んで顔をそむけている。

「せっかく琴を奏でておりますのに、全く聴いてくださらないのね。ちょーシケてるですわよ真凪」
「ちょ・・・? ひ、姫、またレフラ殿から妙な言葉習いました・・・?」
「ほほほ♪」

警護のために側立っているというのに、緊迫感のないのは幸か不幸か。
そろそろ亥の刻にさしかかる頃。
本来なら朱雀門のあたりで、兵衛と近衛の役人を率いて鵺を討伐する仕事であったのに、いざという時の陰陽師、悠里が宮中にいないとあっては、誰かが代わりに姫の守りを務めていなくてはならない。

「本当に・・・あやつは一度思い込んだら止まらない女だ。立場の自覚も何もあったものではない」
「まあ、立場を自覚しているからこそ、行動せずにはいられないのでしょう。頼もしいことですわ。悠里の長所です」
「あやつに何ができるというのです。一昨年、師を亡くして以来ずっと独学です。悠里は・・・まだ子供すぎます。術も未熟で、井の中の蛙で育ったあやつが一人前の顔をするには」
「井の中の蛙・・・ですか。それは、美月竹に住む我々全てに言えることではありませんこと?」

ゆったりと掻き鳴らされていた琴の調べが不意に途切れる。

「わたくし達には、自国の姿しか見えておりません。しかし・・・『アルティメイト』と呼ばれる地図を広げると、それは広大な世界ですわ。
わたくし達に守護と恩恵をもたらす星宿の光は、美月竹のみに注ぐには非ず。わたくし達は、東の果てにある世界の欠片に過ぎませぬ。
――しかし、世界の一部である以上、『アルティメイト』がもし揺らげば、わたくし達にも波は及ぶ・・・」
「・・・姫?」

聞いたことがないほど、凛と澄みきった美弥乎の声音。
真凪の耳には不可解な言葉。しかし、祝詞の歌のように、重い響きの語り。

「ふふ。真凪、わたくしは悠里が未熟だなどとは思っておりません。彼女に必要なのは、天と地を見渡せる広い視野です。
世界の大きさと己の小ささを認め、揺らぎゆく時とさだめを見定めるまなこを持つ者でないと、『あの指輪』は任せられませんわ」
「『螺旋の指輪』のことですか?」

真凪は弓を置き、御簾の前にひざまずいて向き合った。

「何を仰っているのですか。あれは代々、美月竹の皇家のものでは・・・」
「本当にそうかどうかを、わたくしの友が今ユグドラーシルで調べているはずなのです」
はっきりとした口調は、戯れ言ではなかった。
「どういうこと・・・・」
「今はまだお話できませんけど、わたくしは悠里には、レフラ殿の力になって動ける『魔道師』になっていただきたいのですわ。わが国でいう陰陽師が、北の国でいう星の魔力を持つものであるなら、世界の波から美月竹を守るためのすべを、悠里は手に入れられるやも・・・」

不意に、絹を裂くような女の悲鳴。
采女の声だ。

「!?」
「鵺・・・っ!鵺が寝殿の屋敷内に、ひぃっ!」

髪を結い上げた若い采女が、息も絶え絶えに現れ、ばったりと几帳の影に倒れ伏す。
真凪は弓をつかみ御簾をはねのけて矢を構える。

「姫、私の後ろに!」

がシャン! 
灯台が倒れ明かりが消える。何か黒い影が鎌いたちのごとく室内を駆け巡る。

「ええい小癪な!」

見通しが利かず、弓を置き太刀に持ち替えた。射止められずとも姫だけは守らねばならぬ。
刃がわずかな月明かりを映して銀色に光る。

「そこか!」

真凪の眼が影をとらえ、振り下ろす一閃で叩き落した。
その瞬間、刃に反射した細い銀光に、獲物の正体が浮かび上がった。
同時に、硬い無機物の感触も、太刀を持つ手に伝わる。
これは、鵺に似せた、ただのからくり人形ではないか!
己の過ちに気づき、息を呑んで振り返った時にはすでに遅かった。
ぐったりと意識のない姫の体が、侵入者の手の中にあった。
倒れていたはずの采女の手に。

「きゃあ、ヤダ。もうちょっとてこずってからやっつけてよ。それ作るの高かったんだから」
「貴様・・・!姫を」
「死んでない死んでないって。ちょっといい話立ち聞きしちゃったから、借りるだけ」
「その手を離せ、狼藉者め!」

不敵に微笑む女に、太刀を振りかざそうとする。

「うあ・・・っ」

手に力が入らない!?
柄が手から滑りぬけ、畳の上に落ちる。
腕の痺れは徐々に全身を蝕んで、膝が立たなくなる。見れば、鵺のからくりの残骸から青白い光が走り、太刀に絡みつき真凪の腕へ伝っていた。

「何だこれは・・・呪詛か・・・!?」
「はー。この国の人って、ほんとに何でも怪奇現象で理解したがるんだねぇ。ただの電気ショックなのに。だから作るの高かったんだから」

真凪の体の自由が封じられたのを見届けると、彼女は余裕の表情で、変装のために結い上げていた髪をほどいて束ねなおし、うざったそうに采女の礼服と袴を脱ぎ捨てた。

体のラインと肌が見える黒い服は、明らかに美月竹国のものではない。
彼女は、楽しそうに笑いながら、コミカルに指を振る。

「それから、キサマなんて呼ばないでよね。あたしはミケーネってゆうの。あなた達みたいなへんてこな名前じゃないんだから。きゃはっ」
「な・・・何者だ貴様・・・!」
「またぁ。女の子の名前はちゃんと覚えないと嫌われるよ?それにしてもラッキーだわ、ずうっと探してたのよね、その、ナントカの指輪。アテナと一緒に屋敷の中探しても手がかりなくて、都のどこかに隠してるのかなーなんて思ったのよ。
どうやら、お姫様が何かと知ってるわね?」


「――へぇ、僕らが依頼された代物は、そんなにご大層なものだったのかな」


背中から声が聞こえるや否や、ミケーネに白いものが電光のように飛びかかった。

「きゃあぁあ!?なになにっ!?」

あまりにも突然で、油断していたミケーネは慌てふためいた。
気づいたときには、目の前に、白犬の姿の星獣を従えた長身の男が皮肉な笑顔を浮かべて立ちはだかっていた。
得意げに尾を振るクーシーの背には、美弥乎姫がもたれかかっている。

「・・・あちゃあぁ・・・困ったかも。人質取り返されちゃったぁ」

しばらく、ミケーネはどうするか考え込んだが、やがて、ぱあっと愛想笑いをつくる。

「エクセルくーん、見逃してくれない〜?」
「うんいいよ」

あっさり。

「僕は紳士だからね、女の子に手荒なことはできないさ」
「やったv今度一日だけなら付き合ってあげるね♪それじゃ」
「でも」

がし。
笑顔で去りかけたミケーネの肩を、後ろからつかむ。

「残念だけど、僕が一番好きなのはレフラだからね。君を逃がしたらレフラが許してくれないな」
「いや〜ん嘘つき〜!」

ミケーネは一見楽しんでいるような素振りで嫌がってみせる。

「あぁでもそんなエクセルくんもかっこいいな。ね、レフラなんて諦めてあたしのカレシにならない〜?」
「いやいや、遠慮しとくよ、はは。上目づかいで見ないでそんな」


「何鼻の下伸ばしてんだこのオンナったらし!」

げしっ!
レフラの飛び蹴りがエクセルの後頭部に炸裂した。

「どおおおぅっっ!?」
「何が紳士だ、このキザ野郎」

飛行魔法で飛んできたレフラは、そのまま土足で着地する。
そして、エクセルの胸倉をつかんだ。
「あたしは!あんたの女じゃないんだから!誤解されるようなこと言うんじゃねぇっていつも言ってんだろ!!」
「れ・・・レフラ落ち着け、言葉遣いがまた昔みたいに荒荒し・・・」
「可愛子ぶる女も嫌いだけど、そんなんにあっさりなびくような男も大っ嫌いなもんでね」

エクセルが何か弁解したそうにしているが、何も言えずにいる。自業自得。


「さて、あんた達が何企んできたのか知らないけど、仕事なんで、ここは容赦なく成敗させてもらうよ」

レフラが、魔術のための銀の拳銃を腰のホルダーから引き抜く。


一方、その傍ら。
悠里は、倒れている真凪を見ると蒼白な顔で駆け寄って助け起こした。

「真凪ちゃん!大丈夫?」
「・・・たいしたことない。もう体も動く」

指先にまだ不快な痺れが残っているが、麻痺からは回復した。真凪は、悠里とは目を合わさず、唇をかみ締めている。未知の術にやられたとはいえ、そばにいながら姫を守れなかったことが無念でならないのだ。

「・・・あたしのせい?」
「ああ」

本当はそうとは言い切れないが、あえて真凪はそう答えた。

「お前は・・・外に出るには向いていない。一人前の陰陽師を名乗るなら、自分のことばかり考えず、姫様を御守りすることを優先すべきではないのか」
「・・・ごめんなさい」

うつむいてしおれた顔をした悠里は、子犬のようだった。

「鵺は見たのか」
「・・・・・・うん」

内心、「あれは鵺だったのかなぁ??」と疑問に思いつつ、一応頷く。
実際は、アテナが用意したまがい物だったのだが、悠里にとっては初めて見た鵺だったのだ。

「そうか」

お前に怪我がなくてよかった、と、素直に言えないのが、もどかしい彼の性分である。



まずい。
このままでは計画が水の泡だ。
レフラを前に、アテナとミケーネは本気で焦る。
せっかく時間も手間もかけて、こんな極東の古臭い国に足を運んできたというのに、大きなお宝の手がかりさえまだつかめていないのに、冗談じゃない。
恐らく、レフラは二人をとっ捕まえていつものようにオーディーン治安局か、アルティメイト保安警備省に引き渡すつもりだろう。
ついこの間、食い逃げで補導されたところを、うまく脱走してきたばかりだというのにっ!
おおっと。
いるじゃないの。
もう一人、この場を切り抜けるために動ける共犯が。
どうしてそんな所で、あたかも他人のごとくレフラの側についてぼけっと立っているのよっ!

「あんたちょっと!どうして助けないのよっ!」
「は?」

アテナが何を言い出すのかわからず、レフラは眉をひそめる。


「・・・・・・いつまで人間のカッコしたままでいるのよ!」


と、彼女が指差したのは。
狩衣姿の少年。
他の者の視線が向けられる。
遠ざかって事を傍観していた彼は、おびえたような表情を一変させる。

「やっぱり・・・。ばらすんじゃないかと、思っていましたよ」

恨めしそうにアテナを睨む。
そして、弓と矢筒を足元に下ろした。

「隠しておきたかったなぁ」
「・・・風丞?」
「ごめんなさい、真凪さん。騙してて」

そう言って、頭を下げる。被っていた烏帽子が落ちる。


同時に、風丞の姿は、漆黒のたてがみを持つ異形へと変わっていた。


「・・・僕がこの姿に戻るのは、最後の手段でしたけど・・・あなた方のせいですよ、もう」
「しっかたないでしょ!レフラが邪魔したんだからレフラのせいよー!」

エクセルは、不可解な魔物の姿に、ポケットパソコンを叩いた。
『鵺』・・・。
そうか。知能の高いボギーゴブリンのことも、この国ではそう呼ぶのか。
しかも、稀な人語を解する、よほど知能の高いヤツだぞ、こいつは。やっかいだな。

レフラがにやっと笑む。

「来た来たっ。魔物退治はあたしの得意分野なのよってば!」

銀の拳銃の、シリンダーの部分を回し、火炎の魔方陣をセレクトする。

「『煉獄より浮上せし魔竜、誘うは我、ここに舞え』!」

ぼうっ!
意外にシンプルな火炎魔法が、黒い魔獣へと放たれる。
少なくとも、いつも相手にしているゴブリンやボギーといった害獣は、これで十分灰にできる。
しかし。
一瞬、風丞――いや、今は鵺と呼ぶべきか――の姿が闇に溶けた。


「無駄ですよ。僕は、夜は不死身なんです。魔法も効きません」


はっと振り向くと、鵺は、アテナとミケーネの傍らにいた。
短距離の高速移動、あるいはテレポートの類らしい。

(ま、魔法が効かないって?そんなの見たことないわよっての!)

「とりあえず、逃げますよ、お二人とも」
「は!?ちょっと、探り入れはどーすんのよ!」
「危うく捕まりかけてて文句いわないでください。どの道計画はオジャンじゃないですか。ほら、乗って。あなた方みたいな人たちでも、一応助けないわけにはいかないんですから」

「逃がすかぁっ!クーシー!GO!」
「はいはいは〜い」

白い小犬が飛びかかるも、あっさり弾き飛ばされる。

「ふええ・・・いたい」
「それでも星獣かぁクーシ〜!」
「だってぇ、レフラがボクのご主人様じゃないしぃ。物理攻撃だったら何もできないに決まってるじゃんか〜」

夜の闇が、この魔獣に何らかの魔力を与えているのだろうか。
実体を持たない風のように、二人の少女共々、一瞬で消えてしまった。
ただ一言。
唖然として動けずにいた悠里の耳元に、小さな囁き声を残して。
「ごめんなさい」、と。
そして、風丞は消えてしまった。



明朝。
宮廷の外では、真凪や紫紺が昨日の事後処理に追われる中、美弥乎姫は、朝日に向かって天照大御神への礼拝をすませると、そのまま昨夜は宮中で一晩を過ごしたレフラ達をねぎらった。
とはいえども、レフラはこの国の食べ物はあまり口に合わないらしく、汁物やら山菜やらを御前に並べられるよりは、もうしばらく寝かせてほしそうだ。
奥ではクーシーが、星獣の姿のままでいまだに夢の中にいる。うらやましい。
エクセルは律儀に、何も奉仕できなかったことを美弥乎姫に謝罪している。だんだんそれが口説き文句に変わってきた辺りで、横からレフラに蹴られて静かになった。

「でっさぁヒメサマ、報酬のことはいいにしても、なんか、指輪のことで隠してることあんじゃない?」

甘く熟れた瓜をかじりながら、単刀直入にレフラがたずねる。

「あら、どうしてそのように思し召しますの?」
さりげなく、美弥乎姫は、香を焚き染めた扇で口元を隠しつつ答える。

「アテナとミケーネが、こんな偏狭の極東の国に何しに来てたのかなって思ってね。カマかけただけだったんだけど、その顔色見ると当たりかな。あ、ごまかしてもダメよ、あたし、人の顔色読むの得意なんだから」
「・・・・・・」
「指輪取りに行くって、よくよく考えたら、ただのお使いじゃない。あんたんとこの、真凪でも悠里でも誰でもできそうだわ。ましてや、一国のヒメサマがさ、正々堂々とユグドラーシルに謁見を求めずに、こそこそとあたし達『よろずや』に探り入れさせるなんてさ、怪しいじゃない」

美弥乎姫の用心深い眼が、上目遣いにレフラを見ている。

「って言えってエクセルに言われた」
「ばっ、バカそれ言ってどうする!」

瓜の汁に汚れた指先をなめるレフラは・・・バカ丸出し。
美弥乎姫が、ふっと笑ってぱたんと扇を閉じた。

「あらあら、エクセル殿、小細工なさらなくても、わたくしはお行儀が悪いくらいでレフラ殿を見損なったりはいたしませんわよ」
いや、そういうつもりではなくて、レフラが言い出したほうが美弥乎姫が警戒せず話してくれるかと踏んだのだが。

「とはいえ、指輪のことは深くはお話できませんわ。美月竹が代々受け継いできたもの、とだけ申した筈です」
「なるほど、一国がかりで隠し持ってるような、ご大層なものってことですね」

挑発的なエクセルの言葉にも、美弥乎姫は温和に微笑むだけだ。
あなどれないあなどれない。

「ただ、これだけ教えてさしあげましょうか。レフラ殿、エクセル殿。
・・・頭脳明晰な、アスガルド校出身のマジック・エンジニア様、並びに、アルティメイト随一の魔道師学院と誉れ高い、オーディーン在学の将来有望な準・魔道師様・・・・・・。あなた方のことは、とても高く買わせていただきますわ。昨晩の分の報酬も、後々きちんとお支払いいたします。その代わり、どうかユグドラーシルから間違いなく指輪を受け取ってきて、わたくしに献上してくださいな。
なにしろ・・・わたくしの『成人の儀』に、どうしても必要な物ですから」






真凪は、昨晩の鵺騒動の事後処理に追われて、近衛府に閉じこもりきりになっていた。
若干十五の、元服してそう間もない身だが、これでも近衛府を総括する役職にある。
仕事となると随時無表情で、事務的になる真凪だが、どうしても気になることがいくつか胸に引っかかっている。

「悠里のヤツのことが気になってるだろ?」

紫紺が突っかかってくる。
まだ、近衛兵からの鵺と怪しい人物についての目撃証言をまとめ終わってない真凪は、じろ、と、横目で睨んだだけで、また黙々と作業を続ける。

「ち、面白くねぇなてめえ」
「・・・暇なら手伝え、たわけ者」

端正な横顔の彼の目元には、うっすら隈が浮かんでいる。どうやら徹夜だったらしい。

「そんなん部下にやらせろよ」
「私が片付けたほうが早く済む」
「このヤロウ、自信家め。・・・よぉ・・・あのガキ、帰って来ねえな」

一瞬、真凪の手が止まる。
・・・あのガキというのは風丞のことらしい。

「あやつか・・・。物の怪だったとはな・・・」
「俺はどうでもいいんだがよ、アイツ、悠里が気に入ってたヤツだろ?」

それだ。気にかかるのは。
悠里は誰彼かまわず、気に入った人間には人懐っこい。
風丞の一見頼りなげな感じに親しみがわいたのか、母性をくすぐられたというのか、いろいろ世話を焼いていたのだ。
よく二人で親しげに話していたところを目撃したものだが。
昨日の一件以来、悠里は火が消えたように元気がなかった。
陰陽寮に出入りする侍女に聞いたところ、悠里は朝餉にも箸をつけぬままだとか・・・。

ふぅ・・・。

真凪は、頭を抱えてため息をついた。

「しーすこーん〜」
「じゃからしい」

真凪は、顔を覗き込んでくる紫紺の額にチョップをくらわすと、書類の束を押し付けた。
紫紺はすごく嫌そうな顔をした。

「お、お、俺にやれってか?!」
「通りかかった縁だ。任す」
「他に近衛は沢山いるだろ!」
「昨晩に引き続き都の警備にあたっているのだ。断るなら給料ださんぞ。いいのか」

やぶへび。

悠里のことを心配したのか真凪をからかいたいだけだったのかは知らないが、雉も鳴かずば撃たれぬものを。

「・・・体育会系の俺に、実務押しつけんなよ・・・適当なこと書きなぐるぞオイ・・・」

すたこらと、陰陽寮へと向かいだした真凪には、紫紺のぼやきすら既に聞こえないのであった。




陰陽寮に来て、悠里に取次ぎを頼もうとしたが、たった今、表に出たところだと言われた。
ち、すれ違ったか。
ならばどこへいったか・・・。
真凪には、見当がつく。
悠里がいつも、「月鏡」と呼ぶ、宮廷の北東にある玉藻池だろう。

「悠里」

扇のような黒髪を垂らしたうしろ姿が、のろのろと振り返る。
いつもは陽のように明るい表情が、生気を無くしたように沈んでいる。
美しいとは言えずとも、大きな瞳を瞬かせる愛嬌のある顔は、なんだか別人のように見えた。

「『月鏡』で何か見ていたのか」
「・・・ううん・・・何も・・・」

少し充血して赤い瞳に、腫れた瞼が重そうに乗っている。
真凪が手をこまねくと、やはりのろのろと、勾欄に歩いてくる。悠里の手を引っ張って乗り越えさせた。

「風丞・・・見つからない。探したんだけど・・・いくら占っても、気を手繰れない・・・」

悠里は、震える声でつぶやいた。
やがて、赤くなった目のふちに透明なものがたまって、こぼれる。
白い狩衣の袖がそれを受けた。

「見つけて、どうしたい」
「わかんない・・・・・・」

ぐずぐずと、悠里は泣き続ける。

「でも、あたし、謝らなきゃいけない」
「誰に」
「みんな・・・・・・。美弥乎様にも、真凪ちゃんにも、紫紺にも・・・風丞にも」

悠里は、涙の止まらない顔を上げて、自分を抱きしめるように、腕と腕を抱える。・・・震えていたから。

「あたし、多分、風丞が鵺だって・・・人じゃないって、気づいてた」

真凪は思わぬ告白に目を丸くした。
てっきり悠里は、自分が、大切な友だった一人から裏切られたこと、また、陰陽師としてそれに気づけなかったという自責で落ち込んでいるものだと思っていた。

「ならどうして」
「・・・笑顔が、優しかったから。風丞は。それに・・・ときどき、なぜか、ふっと寂しそうな目をする。だから、信じてあげたかった。・・・あの言葉が、本当だって」
「?」
「あたしのこと好きだっていってくれた」

かこんっと真凪のあごが抜けそうになった。
アヤツめ・・・奥手そうな顔して意外と積極的な・・・・・・。

「どしたの真凪ちゃん怖い顔して」
「いやいや気にするな。で?」

悠里は、静かに重いため息をつく。

「あたし・・・まちがってたのかなぁ・・・」

正直、真凪はさっきの言葉に悠里がなんと返答したのか気になるが、そこはこらえるしかなかった。

「昨日・・・風丞が鵺の姿になって・・・・・・すごく怖かった。体が凍りついて・・・何もできなくて・・・」

悠里は唇をかみしめる。

「風丞も、妖怪なのかなぁ。あたし、できないよ、怖い、戦えない・・・できないよ、戦えないよぉ・・・陰陽師なのに・・・・・・」

悠里の目からまた涙が落ちて嗚咽が漏れる。
真凪は、肩に寄りかかってくる彼女を無言で抱きしめた。
小さい頃、怖い夢を見て泣いたときに、よくそうしてやったように。

「もういい、もう、いいから、悠里」
「いや。あたしも何かしなきゃいけないもの。美弥乎様も、この国も、真凪ちゃんも、あたしが守りたいもの。どうするのよぅ、あたし、こんなに弱くて小さくて。先代様があたしに託したのに」
「・・・お爺さまの育てが悪かったから、いけないのだ。お前が弱いのはお前のせいじゃない」
「でも、真凪ちゃん、『星』はもう、動き出してる・・・・・・」
真凪の表情が、一瞬だけ、こわばる。
「・・・・・・占は、何と出た・・・・・・・?」
悠里は、顔をしかめて目をそらした。
「・・・ごめん、あんまし人に言うなって美弥乎様に」
「ああ、そうだったな・・・」
「どうしよう真凪ちゃん・・・・・・風丞も、指輪のこと何か関わってるみたいだった。
今にこの国は・・・美弥乎様が言うみたいに、何か大きな波に呑まれてしまう気がする。
あたし、あたしが、しっかりしてなくちゃいけないのに、そのためにいるのに、まだまだ半人前で、何もできない」
「泣くな・・・。お前はお前のできることをやれ」
「・・・・・・やっぱり美弥乎様は、指輪の件は、レフラさんに任せた?」

真凪は静かにうなずいた。

「悠里、お前から見て、レフラ殿をどう思った」
「最初、ヘンな人だと思った」
歯に衣着せずきっぱりと言う。
「でも・・・『星』が、ある人だと思ったよ。昴のような、はっきりと見ることはできなくとも煌々とした内に秘めた光・・・・・・。魔力の、ある人だと思った。悔しいくらい」

また悠里の表情が沈む。目を腫れさせた悠里の顔が、痛々しかった。

「ごめんねぇ・・・真凪ちゃん、へこんじゃって」
「・・・・・・・・・いつものことだ・・・気にしてない・・・・・・・」

ぽんぽんと、悠里の頭を抱え込むように真凪の手がなでる。
目をそらしながらのぎこちない仕草に、悠里はこっそり笑ってしまった。
いつも愛想のないふりして、ちゃんと、励まそうとしてくれるのが真凪だ。

「そういえば真凪ちゃん」
「ん?」
「暗所恐怖症いつの間に治ってたの?」
「だぁ?!」

突然の問いに、また、真凪の顔が崩れる。
普段は冷静沈着な真凪に、こんなに百面相をさせられるのは絶対悠里だけだ。

「だってぇ、ちっちゃい頃、夜外に出るの怖くていっつもあたしと むぐっ」
「ええい声が大きい声が!」

真凪は悠里の口を押さえる。
何か思い出したくないことでもあるらしかった。

「・・・あのなぁ・・・私はもう十五だぞ・・・・・・。ずっと・・・その・・・幼少の頃のままだと思っていたのか」
「えーだって、真凪ちゃんは真凪ちゃんだし。鵺退治の仕事しなきゃいけないって聞いてさ、大丈夫なのかなーと思ってたんだよ?」
「・・・・・・馬鹿者」

脱力した口調がおかしかったので、悠里は、ついけらけら笑ってしまった。

「なんだ、さっきまで泣いてなくせに」
「うん、だって、あたしが落ち込んじゃったら真凪ちゃんが死にそうに心配するから」
「・・・してないしてない」
「じゃあそろそろ、陰陽寮に戻ろうかな、またいろいろ占ったり修行したりしなくちゃいけないし」

悠里は、長い黒髪を背に払って立ち上がる。
「悠里」
まだどこかぎこちない笑顔の悠里に、言ってやれるとしたらこのくらいだ。

「・・・自分を信じたことを、間違いだと思うな。陰陽師は星と月で占を行い、魔を払うのが仕事だが・・・占に、踊らされるようになってはいけないのだから」

悠里は、口をつぐんだまま少しだけ微笑み返してうなずき、やがて背を向けて行ってしまった。
真凪は、柔らかに降り注ぐ陽の御光に顔を向けた。

照日の神、教えてください。汝の弟君は、従える星影に何を託しておいでなのですか・・・。

「どうかこの国が、大いなる闇に呑まれざらんことを・・・」









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